この写真は、約三年前のものであります。
この塗田と言われる塩田は、本当に時間をかけて、地盤を作っています。
こうして、見ていると、前田藩の時代になぜこのような立地を選んで来たのか。
昔でいう、防人のイメージもあったのではないかという説もあります。
奥能登でもさらに、奥でもあり、この仁江海岸から飯田、宝立まで、ずっと塩田があったわけでもあります。
いろんな時代背景の中、なんとか浜士も存続していきました。
近代になって、専売公社時代にいろんな背景もあり、生産性の低い生産者たちが、辞めざるを得ない状況になったのはいうまでもありません。
たかだか塩と思いましょうが、されど塩でもあります。
この時代、手塩に掛ける努力が歌われる中、この奥能登塩田村はまさにその手間暇をかけ、手塩にかけて頑張っています。
新たな歴史が、刻み込まれてきております。
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